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食べものをおいしそうに、キレイに撮りたい


by mi-camera

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「優しいね」と言われると、素直にそうだと認めたくなる。

とりたててヒトに優しくしようと心がけたことはないし(基本はイジワルで出来ているし)、
うぬぼれというものではなくて、

色んな人から“優しい”と言われる理由は、
きっとわたしが「自分の居場所(立場・必要とされる場所)がわかっていない人」だからだ。

必要ですか?
アンサーを求める過程で、相手との距離がどんどん縮んでいく。
必要とされたらば、十も百も役に立つのではないかという手段がアタマをめぐる。

(あなたはわたしが)必要?

それがあるとき誰かの目に、不思議なほどに“優しさ”として映るのではないかと疑っている。

不思議なほどに、ではなく、不用意なまでに。
男女も利害関係もなにもなく、「必要とされる場所」に、私を吸い込む磁場がある。

過去に、ただ一人でやり抜く環境に置かれた時、
私は結果だけを求め、考えられる最良の結果を得た。今思うと小さなイベント、高校生活と大学受験で。

学校へ行くまでの距離で覚える100に近い単語や熟語、
ベッドに寝ないで床に寝ては、母が勢いよく開けるドアに頭をぶつけて起きる日常。
3年間は精根を尽きるのに十分な時間だった。
高校で「必要なひと」と認められ、「必要とされる場所」、大学に吸い込まれ、結局私は落ち着いた。

時が経ち、学校から放出されたとき、幸運にも新しい場所へと同時に吸い込まれた。
「第○位」・「■点」・「代表」・「合格」・「不合格」・といったわかりやすい言葉で
自分の位置を表わされない日常は、ひどく落ち着かない。

新しい場所では、これらは意味をなしていない。
点数では表せない、いくらでも羽を伸ばして飛び立てる自由で孤独な世界だった。

一体どこへ向かっているか分からないとき、人の背中を追い、耳を澄まし、体力だけをあてどなく使う。 
そんなとき、「今、わたしが必要ですか」「ここにいましょうか?」と尋ねるように周囲に接するから、
また「優しいね」、「どうして?」と言われてしまうのかもしれない。

ただ「ここにいて、こうしてください」と言われたいだけの優しさは、
“相手を想う優しさ”とは程遠く、うぬぼれなんかよりも恥ずかしい。 

かつて居場所を見つけた経験・手段を知る人は、強い。 
それを頼りにしていたけれど、毎日の朝を迎えるのも難しい、今。
何を始めて、何を終わらせようか、整理がつかない。

そして、また人を追いかけるための朝が始まる。 

頼りなく縮んだ羽で、まだ飛べるから飛び立つ。
私は、体力は気力だと思う。
by mi-camera | 2008-06-17 22:41 | GOOD LOOKING